名 称 : 荒川合気会
創 立 : 昭和三十八年(1963年)
会 長 : 酒井光雄 八段
会員数 : 約400名
荒川合気会
荒川合気会は【公益財団法人 合気会】公認団体です。
都内3区にまたがり計9つの道場にて、たくさんの門下生と共に合気道を中心とした様々な活動を行っております。
現在創立より60年、会員数は400名を数え、都内でも屈指の合気道の団体となっております。
また当会の会員の方は、道場の所属にかかわらず支部道場すべてに稽古に行っていただけます。
荒川合気会の歩み
荒川合気会は昭和38年、当時の大商証券荒川支店にて発足した。
きっかけは合気会二代目道主からの言葉であり、また荒川合気会の名称もそのときに頂いたものである。
荒川合気会の歴史は、会主・故佐藤益弘の合気道の歩みと重なる。
以下に、会主の足跡を記す。
会主の足跡 | 出来事 |
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1927年(昭和 2年) | 東京都荒川区尾久に生まれる。佐藤家にとっては待望の長男であった。 |
1939年(昭和14年) | 高等小学校卒業後、荒川のほとりにあった理研工業株式会社に入社。 社内ではしごき、いじめが日常化しており、そのあおりで骨折する。 それがきっかけとなり、柔道を始める。 これが武道との最初のつながりとなり、後に二段を取得した。 |
1945年(昭和20年) | 同僚がきっかけで赤羽拳闘会に入門、ボクシングをはじめる。 階級はウェルター級で、リングネームは佐藤猛。 一年後には新人王戦に出場。決勝で惜しくも敗れ、その後のジムの閉鎖にともないボクシングから離れる。 |
1958年(昭和33年) | 合気会本部道場入門。当初、合気道に懐疑的だったため3日間通いつめ、3日目に開祖植芝盛平の稽古を見る機会に恵まれた。その結果、開祖の技に衝撃を受け、ただちに入門を決意。 合気道との出会いであった。 |
1959年(昭和34年) | 株式会社玉越工業を設立。当時は主に三輪車の溶接を行っていた。 |
1963年(昭和38年) | 荒川合気会発足。当時は大商証券荒川支店内に道場があり、そこで荒川合気会が生まれた。 その後、現会長である酒井光雄が入門、その後も現在の師範たちが続々と入門し、支部道場も増え、都内屈指の大型組織となっていった。 |
1997年(平成 9年) | 合気道八段位に列せられる。 合気道における八段は免許皆伝を意味し、合気道を生業としている人間を除いては、最高段位となる。 |
1998年(平成10年) | 東京都体育功労賞受賞。また同年、自伝半生記『自転車と合気道』を出版。 |
2010年(平成22年) | 武道功労者表彰受章。 この表彰は、日本武道協議会に加盟する10団体の中から武道の発展に貢献した人物が毎年各1名選ばれる。 武道界では最も栄誉ある表彰である。 |
2013年(平成25年) | 12月19日、永眠。享年86歳。 |
北区の道場 |
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荒川区の道場 |
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台東区の道場 |
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滝野川本部道場について
当道場は荒川合気会の本部道場として、会長・酒井光雄のもと、水曜日と日曜日の週二日、稽古に励んでおります。
各支部道場の師範が集い、指導に当たるため稽古は多彩で、日曜日には多くの門下生で賑わいます。
滝野川道場のトピックス
No | 期日 | 内容 |
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1 | 1月8日(日) |
令和5年本部道場 鏡開き式にて 台東道場長 本多 康邦 : 五段 町屋道場長 小山 雅也 : 五段 赤羽道場長 加藤 聡 : 五段 光 道場 飯田 日佐男 : 四段 以上4名が昇段免状を授与されました。 |
2 | 2月19日(日) | 荒川合気会60周年 祝賀会 場所:ホテルラングウッド |
3 | 3月19日(日) | 春の昇級・昇段審査 場所:千住道場 |
4 | 4月29日(土) (祝日) |
合気神社例大祭 場所:茨城県 合気神社 |
5 | 5月27日(土) | 第60回 全日本合気道演武大会 場所:日本武道館 |
6 | 7月16日(日) | 全日本少年少女合気道錬成大会 場所:日本武道館 |
7 | 8月19日(土)~ 8月20日(日) |
少年少女部合宿 場所:江東区夢の島東京スポーツ文化館 |
8 | 9月24日(日) | 秋の昇級昇段審査 場所:台東道場 |
9 | 11月19日(日) | 荒川合気会演武大会 場所:荒川総合スポーツセンター |
10 | 12月末 | 稽古納め |